
幕末の混乱期に、日本のあるべき未来を構想した稀有な人物がいました。会津藩士、山本覚馬です。彼は鳥羽伏見の戦いで薩摩藩側に捕らえられ、京都の薩摩藩邸に幽閉される身となります。山本は会津藩士ながら開明的な思想家として名を馳せており、家老の小松帯刀や西郷隆盛らとも親交がありました。そのため幽閉とはいえ薩摩藩からは厚遇されたようです。そこで山本は「管見」と題した意見書を執筆しますが、その内容はその後開かれる新しい政府の形成に多大の影響を与えるものでした。
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「管見」には新しい社会のあるべき姿と、それを実現するための方策まで事細かに書かれていたのです。新しい政府は三権分立であること、人材育成が第一なので学校制度を構築すること。特に女性の力が大事で女性の教育機関を設置すること、経済を豊かにするために産業を起こすこと、などまさに日本の近代化のための壮大な設計図でした。山本が「管見」を書いて薩摩側に提示したのは1868年、明治元年でした。
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海外に行ったこともない山本が、幕末の混乱期に日本社会の未来を構想できたことは驚くべきことです。時代の変わり目を読み解くことが出来た、という意味では時代の転換点にある現代にも役立つヒントがそこにある気がします。
高度経済成長期という成功体験を得た後、バブル崩壊を経て1990年代以降日本は長い停滞期に入りました。かつては日本人の「勤勉さ」、「ものづくり」の優位性が「日本的経営」を世界のなかで卓越したものにしていました。しかしこの30年間で世界の経済情勢は一変しています。「低開発国」と呼ばれた国々が次々に経済成長を果たし、国際競争に加わってきました。日本はITネットワーク産業に出遅れ、これからはAIなどの先端技術が世界を変えていこうとしています。人口減少がこれから益々進み、近い将来には7千万程度にまで減少するとの予測です。労働人口のひっ迫は既に至る所で見られるようになりました。私たちも手を拱いているわけにはいきません。
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山本に学ぶべきことは、未来はきちんと構想できる、ということです。ドラッカーも、既に始まっている未来を見つけるべきである、と説いています。日本の未来はどうなっていくのか。あるいはどうあったらいいのか、と構想してみることが必要かもしれません。
この国におけるマネジメントの行く末を構想するとしたら、人間がより人間的であること、つまり「人間性」というキーワードとして浮かび上がります。かつての「日本的経営」では「勤労」だけが強調されていて「人間性」は二の次でした。新たな「日本的経営」を構想するならば、人間力に基盤を置きながらも高い生産性を上げる新しいマネジメントの姿が浮かびます。
人間ひとりの力だけでは限界がありますが、複数の仲間と力を合わせれば大きな力が得られます。そこで必要となるものが”コミュニケーション”力です。
これからは私たちに出来ること、コーチングで未来が拓けないか考えていきたいものです。